寓話の世界。

原発震災が現実になった時に、最初に思い出したのが星新一のショートショート「おーい  でてこーい」でした。
大体のあらすじを思い出すと、

ある村に、突然あらわれた底なしの穴。
若者が、大声で「おーい でてこーい」と叫んでみたけど、声は闇に呑まれて、なんの反応もなかった。ついで小さな石ころを投げてみたけども、落ちた音も聞こえない。
その穴に目をつけた人間がいて、都会のゴミを捨てたり、犯罪者は証拠を捨てたり、政治家は都合の悪い書類を捨てたり、しまいに放射性廃棄物なんかも大量に放り込んだ。

長い時間を経て、街はすっかりゴミが無くなって空気も美しくなった。

ある時建築中のビルの上で、仕事を終えた作業員がはるか頭上から「おーい、でてこーい」という人の声を聞いたような気がした。見上げた空には何もなかったけども、彼の背中をかすめて小さな石ころが落ちた。

とそんなお話でした。
私はこれを読んだ当時、ちょっぴりダークな、良くできた寓話という程度に受け止めていたわけです。

で、今、もう一度読み返してみましたら、内容は実にリアルでした。
何がリアルといって、登場する人物も、それぞれの事情も、そのまま現実だったわけで、原文には何も分からないのに分かったふうのパフォーマンスをすエライ学者とか、穴を原子力発電会に売りつける利権屋とか、許可を与える官庁とか、心配しながらも数千年は絶対地上に害は出ない、と説明され、また利益の配分をもらうことでなっとくしてしまう村の人とか、また生産することばかりに熱心で、後始末をいやがる都会の人とか、まあそのままの現実かなと思われる人物が登場します。

穴に捨てられるものは、原発のカス、外務省や防衛庁の機密書類、伝染病の実験に使われた動物の死体、引き取り手のない浮浪者の死体、都会の汚物や過去の思い出等々。

私の頭がリアリティを持ってそれを読んでいなかったということですが、現実が寓話に近づいたとも言えます。
もうひとつ、暗示的だったのは黒澤明の「赤富士」ですね。
これはYOUTUBEで見ましたが、「夢」8話のうちのひとつです。

以前実家のテレビで、見た気がするのだけど、「桃畑」「雪あらし」「トンネル」「鴉」「水車のある村」は見覚えがあるのに、何故か赤富士と鬼哭は記憶にありません。
これも私の意識が薄かったのか、それとも実際この時は放映されなかったのかは不明です。

時代が変わりつつあり、人の意識も変わります。
今起きていることはある意味後の世に昔話として残るのでしょう。
100年後、200年後、、1000年後に・・・1000年たって昔話になってもプルトニウムは余裕で残ってるわけですけどね。
その時ナウシカの世界みたいに負の遺産として残っているのかな。
逆に負の遺産の無かった時代が神話の楽園となり、歴史は巡るのかなあと。