百万本のバラ

120511-1[1]

百万本のバラ、は言わずと知れた人気のシャンソン。
先日お友達のいっこちゃんのリサイタルで聴いたばかりで、記憶に新しいのです。
(ちなみにいっこちゃんは、私のかかりつけの目医者さんです)

貧しい絵描きが旅廻りの踊り子に恋をして、
小さな家を売り払い、
町中のバラを買い集めて、
彼女にプレゼントしたという歌詞。

「貧しい絵描きの僕に出来ることはただひとつ、何もかも捨ててあなたを思うこと」
・・まあ、シャンソンの90パーセント以上はかなりどうかしている恋の歌ではあります^^;

いや、貧しい絵描きに出来ることは絵を描くことだけじゃないか・・?
肖像画なり、100万本のバラなり、描いて贈ればいいじゃないかと聴くたびに思うのは野暮ですかね。
(あ、リサイタルはとっても楽しかったのですよ。)
もう恋しすぎて絵筆も握れなくなってしまったのか?それとも自分の絵なぞ相手が気に入るまいと思ったのか?

えーと、そんなことを思ったのはですね、

最近熊本のギャラリー楓さんが、ギャラリーで益城町のお友達やご親戚の家族を受け入れていらっしゃると聞いて、何か送ろうかと思って伺いましたら、ミライ・デザインの絵葉書をリクエストいただいたのです。
確かにそろそろライフラインも復旧し、物流も動きつつある時期、今後はむしろ精神的に癒しになるものが必要な時期かも。
震災後は普段は音信の無い方ともやりとりがあったりするし。はがきも使うかも。
というわけで、腹の足しにならないモノをいくらか送らせていただきました。

・・やはり貧しい絵描きが出来ることってそれだけだよなーと、冒頭の百万本のバラに戻るわけです。
そして、自分の描く絵には腹の足しにはならないけども、何かしらの価値がある、人の心に働きかける何かがある、という厚かましい自負が無くては、絵描きなぞ出来ないと改めて自戒しております。

そもそも百万本のバラの原曲は、1981年のラトビアの歌謡曲で、日本語版とは全く違うらしい。
日本語版のもとになったのは、翌年に出たロシア語版で、こちらは確かに画家が女優に恋をした、という日本語版に近い内容。
でもね、近年の研究では、モデルになった画家は女優の肖像画を何枚か残しているけども、彼女が薔薇が好きだったとか、彼が薔薇を買い集めたとかは作詞家の創作?という話で(ウィキペディア参照)、やっぱり画家なら絵を描くよねえ、と納得した次第です。
(ついでに百万本のバラがフランスとは全く関係がないこともわかり、シャンソンというのは間違いかも、ですが、シャンソンは本来は歌という意味だし、、まあそのままにしておきます)

というわけで、新しい絵はがきもつくらんばね。