登山で思い出した山を調べてみると、意外にそれなりの由縁があるらしく、ちょっと覚え書き。読み飛ばしてください。

■東広島の小学校の正面にあった小田山。
今は何もないけど、かつて行基が開いた金鶏山本照寺の跡があります。
行基は奈良時代に身分を問わず仏法を布教し、民衆の絶大な支持を集めたといいます。
寺の他にも溜池や溝、架橋など水利事業を進めたと言われます。
畿内から広島は結構遠いですが、その辺りと奈良は良く似ているので、乞われて遠征した事もあるかもしれませんね。
山に囲まれた盆地で、溜池も多く、古墳もあり、縄文時代の土器なども出土する古い土地です。
小田山山頂には他に、手水鉢岩という巨岩があって、古代の祭祀場との言い伝えもあるそうです。

・・そんなこと何も覚えていなかったけど・・登ったのにね。

■もうひとつ登った記憶があるのは、国道沿いにある城山、と子供は呼んでいたはずなのですが、地図をみると岩山となっていました。
お城があったから城山。
戦国時代に東西条を支配した大内氏の城がこの山にあり、毛利元就の攻撃により落城したとのこと。

見た目もごつごつした岩の山で、てっぺん近くの大岩側面に何故か「火の用心」とでっかく描いてあり、人目を引く山でした。
水晶が採れるという話もありましたが、小さな黒水晶は良くみかけました。

■大山(伯耆富士)日本百名山。1729m。
大神岳と呼ばれた霊山です。山陽地方ではお伊勢参りの前に奥参り(出雲大社、美保神社、大山参り)が念願とされていたそうです。
・・大山には行ったしお伊勢はお参りしたけど、出雲大社と美保神社は飛ばしちゃったわけですね。
出雲大社、行きたいな。
日本海側の神社にはなかなか行けません。

■奈良の写真を見ていて、気になった山。
桧原神社の鳥居から見える二上山。
万葉集にある大津皇子を忍ぶ歌に読まれていて、山頂付近にその墓があると伝えられています。

うつそみの人にある我れや明日よりは二上山を弟背(いろせ)と我が見む。〈大伯皇女〉

■八咫烏神社の鳥居正面に見える伊那佐山。
長崎にある稲佐山と同じ名前でした。
「いなさ」は東南の風をあらわし、当時のたたら製鉄に重要な風だったとのことです。
製鉄に関係する神社は東南向きに建てられたといいます。
出雲には稲佐の浜という神話の舞台があり、そこで国譲りの交渉がなされたとか。
国譲り神話にはやはり鉄が重要な要素であったようです。

■森野旧薬園から見える音羽三山。(音羽山、経ヶ塚山、熊ヶ岳)
この3つの山は縦走出来るのですって。かなり道がきつそうですが。。宇陀から見ると三山の裏側に談山神社があります。
春日大社は下がり藤、談山神社は登り藤なんですね。
音羽山をグーグルマップで検索したら、奈良ではなく、岩手一関の山が出ました。
お隣にあるのは経塚山・・へえぇ。

写真。

110827s

せっかくフォト蔵さんに登録したので、以前の青森と富士山の写真を追加しました。

http://photozou.jp/photo/album/1955896

わりとあちこち行ってますね。
春の明日香村と伊勢神宮を撮っていないのが残念ですが(カメラを忘れたので)。
ほとんどが周囲のご厚意で連れて行って頂いた形で、1人ではとても行けない場所が多いです。
ありがとうございます。